象 参打余
◆学歴
1980年 4月 セレンゲティ国立公園入園 鼻の有効活用と他種族との交配について研究する 専攻言語は日本語
1985年12月 卒園
1986年 4月 カリフォルニア大学バークレー校入学 BSDの研究室に在籍
1986年 8月 退学処分
◆職歴
1986年10月 ミャンマーのヤンゴン動物園 入社
⇒アジア象とは思想を違えた発想で動物園改革の推進を担当
1991年 6月 ミャンマーのヤンゴン動物園 退社
⇒立案した施策内容ミスにより居場所を失いました(詳細はエピソードにて)
1992年 8月 千葉県の市原ぞうの国 入社
⇒チケットカウンター業務担当 アトラクションチケット&ヒーローショーチケットの販売や諸規定のご案内や場内ご案内など
2012年 6月 千葉県の市原ぞうの国 退社
⇒20年満期契約の為退社
2012年 7月 上野動物園面接→不採用
2012年 9月 上野動物園面接→不採用
2012年11月 上野動物園面接→不採用(役員面接で不採用)
2013年 3月 上野動物園面接→不採用 現在ニート
アフリカゾウです。人間では無いです。
幼名オサン・モチョイデ・ニート(あだ名はゾウ)。
1975年セネガルにて父アダム・ニートと母ヌメメ・ヒキ・ニートの間に生まれる。
学業に就くまでは、周囲から神童とよばれるほどのワンパクぶりで、鼻相撲などではいつも優勝しておりました。
ただし、他種族(主にカバ)の雌に好意を寄せる性癖があり、同人誌「カバ雌の放課後」などを作成し自費出版するなど、周囲からは特異な目で見られる事もしばしばあり、いつか他種族の雌と堂々と交際ができる社会にしたい。と思ってやまない幼少期でありました。
5歳になり、国立公園に入園したゾウは、カバ女性にモテる為の研究として、カバ女性にない自分の特徴を活かせる【鼻】の有効活用について研究を始めました。
〜中略
11歳で学業から離れたゾウは、ミャンマーで最初の生業につく。
業務内容は衰退する動物園の再生をかけた企画開発業務でありました。
〜中略w
17歳になり幼少のころに培った日本語能力を活かすべく、千葉のぞうの国へ20年契約で就職。
その際、名前を日本人に親しみが持たれる名前 象・参打余(ぞうさんだよ)に改名する。
業務内容は退屈なルーチンワークで、ただその中に人とのふれあいがある為続けられたような内容でした。
改名した意味の無さと、日々繰り返される退屈なルーチンワークに20年耐え、現在は就活中である。
日本にきてからの趣味はインターネットで、もっぱらカバ女性との出会いの為のSNSやチャットを行うも、なかなかめぐり合う事ができずに今日に至る。
そのネットサーフィンの時によく閲覧していたサイトが、KAYACの【元気玉】というサイトでありました。
次々にでてくるアイデアやネーミングセンスを閲覧しては、こりゃダメだー。なんだそれー!という突っ込みをいれておりました。
時間がないので、ここまでとしたいと思います。
これ以降の話に興味があるようでしたら、連絡くれてもいいですよ。
胎 児
なし(胎児のため)
腹の蹴りには定評があります。