Arie Yoshiaki | KAYAC

Arie Yoshiaki

Planning Dept./Community Designer

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アリエッティ
Dice(2024)
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有江 慶彰有江 慶彰
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これまでの人生を振り返ってください。

小学生のときは、まわりを楽しませることが好きで、それなりに自信も持っていた。

中学生のときは、才能のある周りの人たちを見て、自分の才能の無さにガッカリした。

ファミコンにはまり、視力も一気に低下。メガネをかけ、好きだった音楽やスポーツからも遠のいた。

高校生のときは、無口になり、まったくモテなくて、唯一、慕ってくれる後輩の女の子が1人いて、助けられた。

大学では友達ができず、バイトに明け暮れた。

中学生のときからの唯一の親友からの誘いで、お笑いの世界へ足を踏み入れ、大学を辞めた。

それまでに失ってしまった自信を取り戻すために、我武者羅だった。

歌舞伎町で路上コントやビラ配りをして、ヤ◯ザに怒られることもあった。

恥ずかしい思いをしたり、人からバカにされることも少なくなかった。

高校の後輩の女の子も、呆れて離れていった。

初舞台のドンずべりから、ようやく納得のいく爆笑をとることが出来た。

5年経っていた。

自分の中の「人を楽しませたい」という想いの強さに確信を持てた。

気づけば平常時から10kg痩せていた。

健康面からも金銭面からも耐えることが出来なくなり、お笑いを諦め、華々しい世界からは身をひいた。

しばらく休息をとった後、元相方と一緒に、舞台づくりでお世話になったクリエイターさんたちの作品を展示販売できるお店を下北沢で経営することにした。

面白いけど貧乏な下北の住人の溜まり場になり、人気はそこそこあったけれども、利益はなく、2年でお店をたたみ、借金だけが残った。

お店のお客さんのドイツ人の友達の誕生日会に参加したときに、外国人がたくさん住むマンションの屋上のパーティで、いまの妻と出会った。

金も仕事もなく、家に住ませてもらった。

借金返済のために、遅ればせながらも、サラリーマンになる決意をした。

子供の頃から好きだったBASICというプログラム言語を下地にして、プログラマーに転身。いきなり収入が増えた。

プログラマーより、人の間に入る役割のほうがむいてるのでは?と先輩からのアドバイスで、PMという役割に転身。

5年おきにベンチャー企業を渡り歩き、借金は完済できたのだけれども、気づけば過酷な労働環境だった。

結婚して双子が2歳。環境を変えるために、思い切ってフリーランスに転身し、渋谷から鎌倉へ移住。

鎌倉の地域活動カマコンでヤナさんと知り合い、2年後には鎌倉にオフィスを建てるという話を聞き、カヤックへ転職。

プロジェクトマネージャーとして自社のLobiチームで3年半、OP松田チームで2年。

PM歴25年。まちのコインに異動し、コミュニティマネージャーに転身。RCのまちのコインチームでもうすぐ2年。

2023年、コミュニティデザイナーとして、まちのコイン鎌倉チームに所属。肝臓の数値がちょっと気になるけれども、お酒の繋がりや、人との泥臭い繋がりが一番大事と思ってるし、人を楽しませることが、やっぱりしたい。

自画自賛してください。

ポジティブです。

カヤックのどんなところが面白いですか?

人です。

「自分って神がかってる」と思った体験を教えてください。

パスタ屋で朝の仕込みのアルバイトを2年間続けて、
右手で200gジャストの半湯でパスタを一発で掴めるようになった。(1本で2gずれる)
今はまったく役にたたない技能だが、「継続は力なり」を体験できたことは人生の宝。

子供の頃の夢は?

小学校の卒業アルバムに書いた夢は「プログラマー」。
当時「野球選手」や「サッカー選手」が格好良くて主流だったのだけども、
世の中が明るくなる面白いものを「つくる」ってことが、
一番かっこいいと思っていたし、今でも思っています。

Profile

IT歴25年のプロジェクトマネージャー → コミュニティデザイナー
渋谷生まれ、鎌倉へ移住 → 葉山在住、双子男児の父

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