2016.12.22
#みんなの理念解釈 No.4カヤック優等生の私が優等生的に解釈してみました
経営理念が骨の髄まで染み付いています
いきなり自分の話で恐縮ですが、私はカヤックの中でも非常に優等生的な立ち位置だと自認しています。大学3年の時からバイトを始め、就活するもののカヤックから離れられずに新卒入社、よく言われる3年目の転職などを考える間もなくめまぐるしい日々を爆走、そして今に至るという感じで育ってきました。
カヤックは権力者からの評価によって出世するという概念が全くない会社なので、何をもって優等生とするかというのは、出世街道をひた走るということとは少し違います。何が言いたいかというと、長期間この組織に身を置いてきたことで、この「つくる人を増やす」というカヤックの根幹を支える経営理念が骨の髄まで染み付いている、ということなのです。
そういう意味でカヤック優等生な私が、今回のコラムをお送りします。ということで割と真正面から、経営理念を解釈してみたいと思います。
超・主体的な人=つくる人
経営理念「つくる人を増やす」を考えるにあたって、「つくる人」がどういう人か、いま一度考えてみました。つくるというのは今何もないところから何かを生み出して形にする行為、ということで非常に主体的に行動する人と私の中では定義しています。なぜならば、形になるまでには様々な取捨選択があり、その間幾度も自分自身の価値観を問い直すプロセスを経ることになるからで、クソめんどくさいことなのにも関わらずそれをやり遂げるなんて、主体性がなければ出来ません。
また、つくる人に対しては、色々と横槍を入れてくる他人が発生する昨今です。それらをいなし、時には懐柔し、はたまた巻き込んで一緒につくる、そういったこともせねば形にすることはできないですから、主体性をもつ人=つくる人である、という風に私は思っているのです。
更に言うと、今は自らの時間を投資してつくらなくてもお金を払えば手に入れることのできる時代であり、泥臭くて地味なつくるプロセスよりもおしゃれな体験のほうが価値があるとされる風潮が蔓延るわけで、普通に考えればこの経営理念を掲げ続けるのは、合理性に欠けているようにも見えて、ちょっと変ですよね。
主体性は麻薬と同じ
ではなぜつくる人を増やしたいとこの会社は思っているのか。そう考えてみたときに、一つ答えがありました。一言でいうと、主体性を手に入れると世界は突然楽しくなるからですね。スピってるなって思われても仕方ないのですが、もう本当にこうとしか言えないのです。
つくる、という行動には究極的な主体性が求められるという話を上に書きました。つくるにあたっては、体力も精神力も使いますが一つ大きなメリットがあります。自分のこれやりたい、こうしたい、あれあったらいいな、これ素敵、などの欲求を形にできるということです。つまりは自分を取り巻く世界を自らの行動によっていい方向に進ませる体験が出来るということ。誰にも求められていない、自分の価値観を具現化することが出来るということ。正直こんなに楽しいことってありますかね。
あれ、今私の話飛躍しましたかね。しかしこのプロセス、一度経験してしまうと病みつきになってしまうんです。
自分の行動によって何かをポジティブに動かす、この体験は麻薬に近く、もっと良くしようというループに入ることが可能になります。クリエイターという若干おしゃれな言い回しは苦手なのですが、つくる人になるということは全てを前向きに捉えるきっかけになるのではないかと思うのです。
世の中はどうにもならないことのほうが多い
もちろん、つくるということをしない人生の方がずっと楽です。少し大げさに言ってしまうと、つくらないということは、他人に追随し自分の価値観は問わず外からの流れに乗っかって生きていくということなのですから。しかしそれは、自らによって何ひとつ事態を好転させることはできないと諦めていることを意味します。
毎日生きていると、自らの行動によって何かが変わるわけではない、どうにもならないことのほうが、正直ずっと多いです。社会、政治、国際問題なんてのは勿論ですが、自分の預かり知らぬところで大切な物が壊された、関与していないチームで納得できない判断が下された、故郷や母校が面影も残さず変わってしまった、そんなこと沢山ありますよね。
先日、映画『怒り』を観てきたのですが、上に書いたような自分ではどうにもならないことに対しての怒り・悲しみ・絶望を、登場人物たちの苦しみを通じて描いているように感じました。自分の行動が無意味だとわかっている状況に直面することは、なんとも辛く苦しいものです。ですから、自分でどうにかできる範囲は主体性をもっていい方向に働きかけてゆくことがつくるということなのだと改めて思った次第です。周りくらい自らの行動でポジティブにできない限り、我々の生きている状況が進歩していくわけはないのです。
主体性をもってどうにかできる人を増やす
なので、ポジティブに事態を好転できる人の頭数を増やす、というのは良い経営理念だなと改めて思いました。つくる人を増やす、ということは現状はそうではない大多数の人に対して働きかけてつくる人に変えるということで、最初聞いたときはなんてお節介で傲慢な経営理念なんだと思ったわけですが、つくる人を増やすことで結果自分たちが生きている状況が良くなっていくチャンスが増えるということなので、なんだか良いなと思っています。
それでもだいぶ自己中心的で、すみませんと思いながらこの文章を書いているところはあるのですが、例えば「つくる人になる」とか「つくる人で居続ける」などといった、一方的に宣言するスタイルの経営理念よりも、独りよがりではない温かさを感じるので、今は気に入っています。
一つ、つくることは楽しいなと改めて感じたエピソードを紹介します。
先日、カヤックで最も気色悪いイベントである「ぜんいん社長合宿」というものがありました。これは、一泊二日かけて社員全員が経営理念について考えつつ設けられたテーマでブレストをし続け、二日目に発表をするというものです。(ちなみに社員旅行の趣きは全くありませんが、こうしたクソ真面目なイベントによって経営理念が社員に浸透して文化がつくられているという説は、間違ってなさそうと思っています。)
半年に一回なのでバイト時代から数えると既に10回を超える回数参加してきたのですが、ついにこの前の回から合宿運営チームをやることになり、ちょっと、いやかなり飽き飽きしていた合宿がまた楽しいものに大きく変わったということがありました。
やったこととしてはタイムテーブルを組んで司会進行をしてチーム編成を決めて(普段絡みのない社員同士で組まされるのが通例です)という程度で運営チームも普通にブレストをして発表をしたので何か下働きを強いられたとかは無かったのですが、人事部長の柴田さんもいいように泳がせてくれたので、もちろん社員の時間を有意義にするということは念頭におきつつ、かなりやりたい放題させてもらいました。
合宿にただ参加するのではなく合宿をつくる人間になると、こんなにも色々な面白さを発見できるのかとビックリしたのです。言いたいこととしては、めちゃめちゃ主体的に何かをつくることは楽しいということです。勿論反省点もゴロゴロ出てきますが、それらは自分たちの責任において何かやった結果であり、問題を解決していくことも十分に楽しむ余地があるので、つくるということは良いことばかりだなと改めて思いました。
乙女電芸部の活動
これは余談ですが、ライフワークとして乙女電芸部という電子工作×手芸DIYユニットを組んでおり、休日はワークショップをしています。最近だと子供向けワークショップの依頼が多いのですが、子供が誰にも助言されずにいろいろ考えて自分の中で主体的に判断を下し何かをつくる、そういうプロセスを目の当たりにしていると、これはつくる人を増やしているんじゃないかと思えてきます。それがいつの日か、その子の人生のいいターニングポイントになるといいなとささやかながら願っており、いつかどこかでその子らとクリエイターとして再会することを夢見ています。
ということで毎日何かをつくりたい方と一緒に働いて、日々を楽しくしてゆきたいと思っております。主体性シャブ中な方、ぜひご連絡お待ちしています。