浦島太郎の教訓と2つの"スキ" | 面白法人カヤック

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2019.06.20

#みんなの理念解釈 No.9
浦島太郎の教訓と2つの"スキ"

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僕は深夜ラジオを聴くのが好きだ。今回はまずその話からしたいと思う。

僕がラジオを聴くようになったのは中学1年生の頃。中学受験合格のお祝いに父に買ってもらった第一世代の真っ白なiPod nanoで、当時サービスが開始されたばかりだったPodcastを知った。配信されていた深夜ラジオの総集編あるいは放送終了後のアフタートークなどのコンテンツを聴き始めたのがすべてのきっかけだった。田舎に住む中坊にとっていつもテレビで見ている芸能人のテレビでは見せない一面や日常のトークなどがとても新鮮ですぐに僕はその世界にのめり込んでいった。

口を開けば"ラジオ、ラジオ"

「どうして大河原さんは口を開けばラジオの話しかしないんですか?」

...と最近よく聞かれる。どう返答しても気まずい空気になることは目に見えているのだが、そういうことを聞かれたときに真っ先に頭に思い浮かぶエピソードがある。

それは深夜ラジオのアニキ、伊集院光の「深夜の馬鹿力」のPodcastのある回である。

当時の深夜の馬鹿力のPodcastは本放送終了後に伊集院光を慕う若手の芸人ら4,5人と伊集院光とが他愛もない(本当に他愛のない)トークを1時間弱するといった内容だった。

その日のトークテーマは「あの有名な童話の本当の教訓は?」といった内容だった。古今東西、様々な昔話や童話がありそのストーリーごとに様々な教えであったり伝えたいメッセージや面白いストーリー性が含まれている。しかし、ときたま「あれ?」となるような童話がある。

その中で「浦島太郎」が話題に上がった。たしかに浦島太郎という話は奇妙な話だ。
もちろん、昔話なので物語の内容には諸説あるしそれこそ歴史的経緯を追えばなかなか奥が深いのは間違いないだろう。が、本筋とは離れるのでそこは割愛。僕らが知っている浦島太郎という物語には一見、教訓めいたものはない。浜辺でいじめられていた亀をすくったら巡り巡っておじいさんになってしまった。正面からこの昔話と向き合うと起承転結の"承"だと思っていたらいつのまにか"結"を迎えてしまったような感覚になる。

若手芸人らも僕と同じように困惑していた。「浦島太郎の教訓かぁ…うーん」

そこで「俺はこう思うのね…」と伊集院光が話したのはこんな内容だった。

浦島太郎は亀を助けなかった

浦島太郎は浜辺でいじめられている亀を助けなかった。助けようと思ったが最後の最後で勇気が出なかった。「下手に手を出すと次は自分があの棒で殴られるんじゃないか...」などと心配が重なりその場で見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまった。しかし正義感の強い浦島太郎は家に帰っても上の空であの亀のことが気になって仕方なかった。そこからの彼はもしもあの亀をちゃんと助けてあげていれば...という妄想に浸るようになる。「もし、あの時勇気を出して僕が亀を助けていれば…」「もしかしたら亀は人の言葉が喋れて…」「海の底の王国からの使いで…」「そこには綺麗なお姫様がいて…」「毎日が幸せの連続で...」いつしか彼は妄想の世界に生きるようになり、それまでの日常の生活がおろそかになり、時はまるで煙に包まれたかのようにあっという間に過ぎ去って気がつけば彼はひとりぼっちのおじいさんになっていた。

最初に聴いたとき僕は「雷に打たれた」ような感覚になった。いや、大人になってしまった今、あらためて文章に起こしてみるとなんとも荒唐無稽な解釈ではある。しかし、中学受験をして地元の友達と離れて一人県立の中高一貫校に進学したばかりだった当時の僕はこの伊集院光解釈の浦島太郎になりかけていた、いや、なっていた。「勢いで中学受験こそしたけど、もしこの道を選んでいなければ…」そんな取り返しのない妄想にふけっていた当時の自分と伊集院光解釈の浦島太郎が心の中で重なった。

テレビは毎日面白い。洗練されたバラエティは5秒に一回笑わせてくれるし、週1のドラマは毎回ハラハラドキドキさせてくれる。アニメは30分枠とは考えられないくらいのワクワクと感動を与えてくれる。

しかし、誰も浦島太郎の自分なりの解釈なんて教えてくれない。

自分の人生を卑下して笑いに変えてくれるリスナーからのハガキもない。

ときに1対1になってリスナーと向き合ってくれるパーソナリティはいない。

(サイコボックスだってない!)

親や友達も大事だったし大好きだった。でもラジオは僕にとって特別だった。

伊集院光、くりぃむしちゅー、爆笑問題、「オレが狂った最低のMC」

携帯電話を買ってもらってからはコンスタントにネタメールを送るようになった。
むしろ当時の僕の主な使い道はそれだった。

とにかく思いついたネタはノートの端っこにメモっておいた。

人気番組ばかり聴いていたのもあって僕の投稿が読まれることはほとんどなかった。

当然、嫌になることもあった。「今の投稿より絶対おれが送ったやつの方が面白くない?」そんなことばかり考えるようになった。読まれたネタを自分で文字に書き起こして勉強したりもした。(はたしてこれが勉強と呼べるのか不明だが。)しかし、どんなに試行錯誤してみても自分の頭からひねり出されるネタには限界があった。ラジオとは狂気なのだ、と若くして悟った。

投稿を送るようになってからラジオとの向き合い方が徐々に変わっていった。それまではそれこそ普段テレビを見ている感覚とさして変わらない、受動的な向き合い方だった。ポテチをつまみながら屁でもこいてヘラヘラしていればよい。しかし、自分がネタを投稿するようになってみると一転、スポーツをしている感覚に近くなった。次から次へと番組の話題・方向性は変わり、期待されるネタの要素や押さえるべきポイントが、5階から流す流しそうめんさながらの速度で目の前を通り過ぎていく。信じられないかもしれないが2時間番組が終わっているころには汗をかいてたりする。もちろん、生放送中の投稿だけでなくコーナーメールのような事前に送るタイプのメールもたくさん考えた。日々の生活の中のどうでもいい友人との会話や出来事を拡大解釈して(恥ずかしい話だが作り話もあった)なんとか笑える文章にしてみる努力もした。ただラジオを聴いていた頃の自分には信じられない状況だった。
とにかく笑って悩みを忘れさせてくれて疲れをふき飛ばすためだったラジオは、気がつけばむしろ悩んで疲れる対象となっていた。

でも不思議なものだ。ラジオ越しに自分のRN(ラジオネーム)が読まれたときの興奮には何も敵わないのだ。あまり綺麗な表現ではないが内臓が飛び出るかのような感覚、といえば良いだろうか。「自分の面白い」が認められた。親や友達、学校の先生に認められるより10倍、100倍嬉しかった。それと同時にこのラジオを聴いている顔も知らないどこか遠くの誰かがもしかしたら自分の偏差値3しかない投稿で笑ってくれているかもしれない(僕がそうであるように)、そう思うだけで眠れなかった。

2種類の"スキ"

僕がラジオから学んだことは数多いが、その中でも僕の生き方の支柱になっているものがある。

「生活の中には2種類の"スキ"がある」ということだ。そう、それはまさに純粋に一リスナーとしてラジオを聴き始めたときのような受動的な"スキ"という感覚と、ネタメールを送るようになってからのスポーツ感覚に近い能動的な"スキ"の2種類だ。どちらが上か下かという話ではない。

美味しいものを食べる、楽しい映画を見る、かっこいいスニーカーを履く、いい車に乗る、そのどれもが尊く人生を豊かにしてくれるのは間違いない。しかし、しかしだ。一杯300円の牛丼をかっくらい、ボロボロのクロックスでママチャリを漕ぎながら必死に考えたネタメールが読まれたときの感動は(少なくとも僕の中では)そのどれよりも尊く僕にとって贅沢だ。

「つくる人を増やす」

というカヤックの経営理念は過去の記事を読んでも本当に色々な解釈ができる言葉だと思う。

その中で僕は「世の中の能動的な"スキ"をもっと増やして応援する」と解釈している。

最後に見たピクトグラム思い出せますか?

また別の話をしよう。

僕は高校卒業後地元から離れ、縁もゆかりもない仙台の大学に通うことにした。授業よりサークル! というどこにでもいるタイプだった。しかし、相変わらず生活の中心はラジオで飲み会の誘いは断ることが多かった。”なんでもあってなんにもない街”「仙台」という都会の中で僕はちょっと変わった趣味を持つ普通の大学生だった。

きっかけは先輩に誘われて出演したネット番組の深夜の大喜利コーナーだった。正確には「仲間内で大喜利やるから来いよ」くらいの誘いにノリで出向いてみたら、それはあるネット番組の記念の24時間配信でがっつりネットに放送されるよーん、といった感じだった。番組に出ること自体には緊張しなかったがそれまでラジオでしかボケてこなかった自分が人前でフリップ1つで人を笑わせようとするのは気恥ずかしかった。ラジオのときとはまた違う汗をかいた。

結局、番組中そこまでウケは取れなかったわけだがそれでもとても楽しかった。何より他の出演者たちが面白かった。

「仙台にはこういう人たちもいるんだなぁ」午前1時。不思議な感覚だった。

コーナーが終わって帰宅しようかと思った矢先、大喜利の次のコーナーが始まった。

「ピクトさんを探せ」というコーナーである。 企画をしたのは僕の一個下の女子大生だった。内容はチームを組んで仙台の街中にあるピクトグラムをただひたすら探す、それだけ。普段よくみるピクトグラムもあれば言われてみればあれもピクトグラムだなぁ、みたいなやつもある。

衝撃だった。最初に話した浦島太郎の伊集院光解釈を聞いたときに近いかもしれない。何か明確に「負けた」と感じた。

「"仙台"に何もないんじゃなくてお前が能動的に見つようとしてこなかっただけじゃね?」

耳元で誰かにそう言われているような気分だった。

ピクトグラムそれ自体が面白いんじゃない。 そこに対して注目できることが面白いんだ。

そしてそれに続く番組のタイムスケジュールも、そんなふざけた(でもワクワクする)企画が盛りだくさんだった。

キになる、をスキになる

その後、番組の運営に関わるようになったのも自然なことだった。

もともとこの番組は東北大震災をきっかけにUstreamで始まった番組だった。各種メディアが嘘と誇張と確証のない情報を流す中で「復興を考えるソーシャル学生ネットワーク」と題してリアルタイムでその地に住む学生たちが現場を、そしてこれからの未来を考える番組として始まった。

僕が参加するようになったのは2014年の後半でその頃は世間も(まだまだ復興に関する課題は残っていたが)一時的な熱から冷めていた。そんな矢先、番組の方針を一度見直そうという会議が開かれた。

つまり震災から数年が経って果たして毎週僕らは復興をテーマに番組作りを続けていくべきなのか、あるいはハッピーな、それこそ大喜利やピクトグラムのようなコンテンツを真正面から続けていけるのか、という会議だ。番組のあり方を見直したとき、それこそ場合によってはこの番組自体一度打ち切っても良いのでは?という、なんとも重いテーマだった。

でも、僕らは番組を終わらせなかった。"復興の延長線上"として学生たちが挑戦できる場として番組を残すことに決まった。番組の掲げるテーマも話し合いの末、変わった。

それが「"キになる"を"スキになる"」だった。

これは上で述べた受動的な"スキ"と能動的な"スキ"の対比と似ている。つまり、日常の中で僕らが感じる"キなる"ことを一歩踏み込んで自分ごと化して"スキになる"挑戦をしてみよう、ということだ。

うだつの上がらない大学生だった僕が「ピクトさんを探せ」を見たときと同じような、あるいは賞味期限5分のネタメールを送ることに必死になっていたあの頃の僕のような、そういったものを発信していこう、そういう意味を込めている。

やるやつはやる、やらないやつはやらない

カヤックは「面白法人」なんていうやばい屋号を抱えている。

面白法人という屋号は誤解されやすい。

「カヤックがまた面白くないことやってるよーw」といったツイートをよく見る。

たしかに最近はうんこにお熱な弊社だが、屋号に抱えている面白さはそういったM-1的な面白さとは違う。

それは自分たちがつくることで感じることができる面白さだ。

それはまさに能動的な"スキ"に熱中した瞬間に得られるあの面白さだ。

カヤックは一般的にIT企業と認知されているため「つくる」というとWEBサービスだったりソーシャルゲームだったりSNSだったりを連想するかもしれない。そこから「つくる人」としてエンジニアやデザイナーといった職業をイメージするだろう。実際その通りなのだが決して「エンジニア,デザイナー=つくる人」というわけではない。現に僕らの名刺には「CREATOR」と書かれている。つまり経営理念に書かれている「つくる」というのは具体的な履歴書に書けるような知識やスキルに関してだけではない、ということだ。

カメラマン、ダンサー、ゲーマー、料理、Youtuber、スポーツ選手、映画監督、漫画家、歌手、子育て(これこそ最高の"つくる人"だと思う)...僕らはあらゆる面で意欲的になにかを作って(表現して)、そして誰かに伝えることができる。

ときに笑ってもらえたり泣いてもらえたり、もちろん怒らせてしまったり悲しませてしまったりすることもある。でもたしかにそこにエネルギーが生まれる。

「カヤックの出すゲームは面白い、俺もみんなと遊べる楽しいゲーム作りたい」
「カヤックのあの広告めっちゃ笑ってRTした、私もみんなに見てもらえる動画作ろう!」

そうであってもいいし、

「カヤックの出すゲームはつまらない、俺の方がもっと熱くなれるゲームを作れる」
「カヤックの広告は笑えない、俺の考えた企画の方がもっとバズるな」

でもぶっちゃけ問題ないわけだ。
(できれば前者であってほしいとそう願いながら日々業務に勤しんでいるのではあるが。)

「つくる人を増やす」というのはカヤックで働く僕らの能動的な"スキ"が生み出す面白さの連鎖の中で生まれるエネルギーでより良い世界を目指そう、という理念だと僕は解釈している。

昔Youtubeで見た矢沢永吉のインタビューが印象に残っている。

「いつの時代だってやるやつはやる、やらないやつはやらない。だから言いたいのはさ、やるやつの部類にあなたも入ったら?って。結局、決めるのは自分なんだから。」

カヤックにはやる奴が多い。

健康のための「つくる」

僕は去年の秋口から趣味で始めた映像コンテンツをSNSに週に3~4本公開している。最近は社内の日報にも載せている。誰に言われたわけでもない、久しぶりに出会った自分の能動的な"スキ"なことだ。だれかがくれるいいね!に心安らぐこともたしかにあるが、どちらかといえば自分のクリエイターとしての"健康"として続けている要素が大きい。

「私を嫌うような奴は勝手に嫌ってくれ! 自分が好きな人への好きな気持ちだけで私は頑張るぞ!」

ある日、会社のSlackでこんなつぶやきを見た。きっと何か嫌なことでもあったのだろう。でも、僕もいつも同じ気持ちで生きている。人生は短い。

昔、父親に「すべての人はお前のために生きていて、お前はすべての人のために生きている、そう思いながら生活するとちょうど良い」と言われた。今でも時たま思い出す。自分を否定する人といちいち取り合ってたら埒が明かないし、100%理解し合えることもきっとない。もちろん人様に迷惑をかけたなら反省は必要だが、無意味な対峙は不要だと思う。ただこれは非常に酷な思考だ。決して楽な、逃げの選択肢ではない。なぜか?自分が自分を肯定できなければ、この考え方は簡単に根元から崩れてしまうからだ。自分が自分を"スキ"でいられないのに一体どうやって周りから自分への好意もまっすぐに受け止められようか。クリエイターが精神的に病みやすい、などと巷で言われているのは実はこんなところに原因の一因があったりすると思う。

受動的な"スキ"と能動的な"スキ"に優劣はたしかにない。一方でクリエイターとして生きていく中で自分を肯定して生きていくには受動的な"スキ"だけでは救いにならない。ましてやネット社会が発達していって嘘が嘘として認識されないまま(ときに全くの善意によって)多くの人に広まってしまうような今の世の中で自分で作ったものが自分に与えてくれる安心感は非常に大きい。

僕しか僕の神様になれない

以前、友人の画家に「なにが作品制作のモチベーションなのか」と聞いたところ「僕しか僕の神様にはなれないと思ったから」と話してくれた。安心してほしい、僕も読んでいるあなたのように「やべぇな、こいつ」とそのときは思った。でも、今になって考えてみるとなるほど、と思う部分もある。毎日Spotifyがおすすめのアーティストを教えてくれる生活は幸せなようで幸せではない。そこに能動的な"スキ"はない。MDやレコードに回帰しよう、と言いたいのではない。結局自分で自分の"スキ"を作れることが一番幸せなのかもしれないということだ。料理だってある意味ではそうだ。着色料や添加物、産地偽装、放射能、心配なことは日々絶えない。ならいっそ自分で一から畑で野菜を育てられたら、安心して「これは自分が作ったものだ」と思って食事をできたのなら、それは高級料亭で食べるカニより美味いかもしれない。だからと言ってなにも読んでいるあなたに今すぐCubaseとAnovaを買ってほしい、という話ではない。腐ってもクリエイターとして生きていくのであればせめて自分をちょっとでも(ほんのちょっとでも)肯定できる材料は用意しておくべきだ、という話だ。

「つくる人を増やす」という理念を持ったカヤックはそういった社員の健康のためのクリエイティブを積極的に応援してくれる。これは世の中の多岐にわたる福利厚生を抱えた企業を見渡してもそう多くはない。毎日5000兆円ほしいと思いながら目覚め、5000兆円ほしいと思いながら歯を磨き5000兆円ほしいと思いながら電車に揺られて出勤している僕だが、もしかしたら健康のためのクリエイティブはそんな5000兆円より価値あるものなのかもしれない。

配られたカードで勝負するしかない

以上、ここまでがカヤック新卒3年目のぺーぺーによる企業理念解釈であり認識だ。では最後に僕の「つくる」モチベーションとは何か、について書いて終わりにしたい。
一つは上に書いたようにクリエイターという肩書きに恥じないプライドと健康のため。
もう一つは、浦島太郎にならないためだ。つまり、この道を選んだ過去の自分を肯定するためだ。
人生は選択の連続で、スヌーピーよろしく「配られたカードで勝負するしかない」。だとしたらそのカードを最大限に有効活用できるように僕は「つくる」というアクションを取った。自分の選択の責任を自分の中に持つ。「自分ごと化」というキーワードもカヤックの社内では日常的に使われるキーワードだ。いつか玉手箱を開けた日に「いいおじいさんになったじゃねーか」そう言えるよう今日もせっせと「つくる」のだ。

最後に、ここまで随分と偉そうに書いてきた僕だがまだまだ仕事は半人前で勉強勉強の毎日である。それでもこのような長々とした文章を書く機会をいただけたこと、そしてそれをインターネットの海に公開させてくれたことを会社に感謝する。

「あったかくして寝ろよ」

「僕から以上!」

(ソーシャルゲーム事業部: 大河原 綾人)

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